◆別名
◆所在
稲沢市下津高戸町
◆交通
◆歴史
応永年間(1394年~1427年)初期に尾張守護に任ぜられた斯波義重が尾張国守護所を置いた事が始まりとされる。
応仁の乱が起こると、守護の斯波氏にも家督争いが勃発。
さらには尾張守護代の織田氏も伊勢守家と大和守家に分裂して抗争を始める事となった。
織田氏の嫡流であり、代々守護代を世襲してきた伊勢守家当主の織田敏広は下津城を居城としていたが、織田大和守家の当主であった敏定との戦いに敗れ、下津城は焼失したと伝わっている。
その後、敏広は岩倉城を築いて尾張北方四郡を支配するが、守護所は清州城へと移り大和守家が守護代の地位を獲得し、尾張南方を支配する事になった。
なお、戦国武将の中でも有名な武将の一人である織田信長は、大和守家の配下で清州三奉行の内の一家である織田弾正忠家の出自である。
◆現在
県道155号線の西側に城址碑が建てられているのみである。