掃部(かもん)屋敷

2017年10月31日撮影


◆別名

 

◆所在

津島市筏場町30

 

◆交通

 

◆歴史

尾張徇行記には苧之座にあった浄蓮寺が慶長13年(1608年)以前に堀田掃部頭屋敷跡に移されたと記されている。

 

当時は天王川(現天王川公園の池)が津島の町を南北に流れており、津島の町の南端にある筏場に屋敷を構える堀田家は服部家、大橋家と並ぶ津島の名家であった。

先祖を辿ると、南北朝時代に活躍した堀田正泰の子孫が津島を基盤に発展したとされ、戦国時代には堀田盛重が織田、豊臣の全国制覇に貢献し、その一族は戦国大名へと成長していった。

 

堀田正吉は関ケ原の戦い以降、徳川家に忠誠を誓っており、正吉の子の正盛は、稲葉正成の孫と言う縁(※注1)から3代将軍徳川家光に近侍して重用され、老中などを歴任している。

 

◆現在

浄蓮寺は建て替え工事により空き地となっており、遺構なども残されていない。

埋め立て・宅地化も進み、川の沿岸だった面影も皆無だが、近隣の筏場神社の脇に筏場・片町の碑が立っている事のみが、川沿いだった事を思わせる唯一の物となっている。

 

※注1

稲葉正成と最初の妻の間にできた娘が堀田正吉の母親で、稲葉正成の後妻は徳川家光の乳母である春日局であるため、堀田正吉は春日局の義理の孫となる。