2017年5月8日撮影
◆別名
◆所在
清須市西枇杷島町小田井
◆交通
◆歴史
応永年間(1394年~1428年)に尾張守護代当主である織田敏定が清州城の支城として築いた事が始まりと言われている。
立地を見ると、清州城と那古野城を結ぶ美濃街道の脇街道として使用された、庄内川の渡しを支配する事が目的だったと思われる。
清州城に守護代が置かれると、織田籐左衛門家当主の織田常寛が城主となり、八代目城主織田(津田)忠辰は織田信忠、信雄に仕えたが、小牧長久手の戦いの際、羽柴秀吉の軍勢に小田井城は攻め落とされ、廃城となっている。
◆現在
字古城の近辺が城跡と言われているが、高速道路建設の際に区画整理が行われ、大正4年に立てられた城址碑は、近隣の城址公園の中に移設されている。
城址公園の中に城址碑が残されているが、実際には公園西側の字古城近辺が城跡と言われている。
城址碑の裏面には、斯波氏の家臣で尾張守護代である織田敏定が尾張四郡を支配していたが、後に羽柴秀吉に攻め落とされ廃城となった事が記されている。