◆別名
◆所在
愛西市町方町十二城237
◆交通
◆歴史
文治年間(1185年~1190年)初期に板垣兼信によって築かれた城館と言われている。
板垣兼信は甲斐源氏の4代目で、武田氏初代当主でもある武田信義の三男に産まれ、板垣氏の始祖となった人物である。
一族と共に平家打倒に立ち上がり、源頼朝に協力して各地を転戦、平家を滅ぼすものの、甲斐源治は木曽義仲と同様、頼朝と同格の武家統領の立場であったため、頼朝の権力強化に伴って、内部分裂を招き弱体化させられていく。
板垣兼信も各地の地頭職を得ていたが、建久元年(1190年)に職を解任され、隠岐島へと流刑に処せられた。
兼信の子孫は甲斐に戻り、戦国時代には武田信玄の傅役となる板垣信方が産まれている。
◆現在
城の跡地には唯称寺が建てられており、寺の東側に城址碑が残されている。
山門前の池には竜神伝説が残されており、かつての堀跡と考えられる。